六畳間のピアノマン

昼ごはん、久しぶりに居酒屋へ行く。良いお店だった。チキン南蛮は美味しいし、ポテサラは手作りだし、鶏がらスープにはつくねが入っていた。目隠しのある大きなテーブルとか、店員さんの元気でちょっと過剰に優しい感じとか、懐かしかった。こうしてコロナになって居酒屋は昼営業をするようになり、込み合う場所も整理券が配られて入りやすくなったりして、子どもが生まれる以前の生活に手が届きやすくなったと思う。

ブラタモリで小鹿田焼のことをしていた。300年以上も一子相伝で続いているのは、狭い土地ゆえそうせざるをえなかったとのことだった。いわゆる工芸品など長く続いているものを見聞きするとき「厳格に伝統を守ってきた」もしくは「新しいものを取り入れつつ伝統を守ってきた」という面が強調されて語られるけれども、小鹿田焼はそのどちらとも違った。原田マハさんの『リーチ先生』はそんな風な描き方をしていただろうか。そもそもそこにフォーカスはしていなかったか。忘れてしまった。伝統は守るもの(守られているもの)という固定観念が少し変わる。

「六畳間のピアノマン」を観る。泣きっぱなしだった。ブラック企業に勤め、過労が原因の事故で死んでしまった若者。その父親が今回は主人公だったのだけれど、大きな社会に立ち向かっていくのではなく、周囲にぶつかったり、そっと入り込んできた優しい人の言葉に救われたり、半径1メートル内に起こることをつぶさに描いていくのがとても良い。ハートウォーミングなドラマ。

今回のテーマは「優しさ」。ブラック企業から逃げ出せるぐらい強く育てておけばよかったという主人公に偶然出会った警察官は「強さの中に優しさがある」という。弔いに来た息子の同級生は「弱い人は人に優しくできない」と言う。そして最後、父は息子は強くも弱くもない「ただ優しい人間だったのだ」と語る。弱い=優しいではない、優しさはただ優しさなのだ。そのことに救われる思いがした。

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