星に帰れよ

「星に帰れよ」を読みおえる。

ネットでは不快なことを言っている人がいればブロックすればいいし、そこまでいかなくても価値観が違うと感じればリムーブすればいい。好きなものに囲まれ、限られたコミュニティ内で物事を共有する。勝手に相手を推し量り、カテゴライズし、シャッターを下ろし、各々が心地よいコミュニティ(星)へと帰っていく。そんなコミュニケーションが現実にも降りてきたらどうなるかがとてもリアルに描かれていた。

昨日の日記の延長でもあるのだけれど、そんなインターネット上での自分の振る舞いは正しいのだろうかと考えるようになった。ネット上でも不快に思う人と関わりたくないという姿勢は今でも変わりはない。けれども価値観の違いから目を逸らしたくはない。なので不快だと思ったら、そのトピックに対する自分の意見はこうだということを文章化してみようと思った。



相変わらず「花束みたいな恋をした」の感想を各所で観測する。

『花束みたいな恋をした』への反応を見てても改めて思ったんだけど、文化消費における在り方の細かい差異とか、「ここでこれを選ぶということはこういうタイプのはず」的なディティールを語り合ったりするのは実際楽しいんだけど、自分はそのあたりはもう「大体同じもの」として捉えるようにしている。

https://twitter.com/comecaml/status/1364093010766532609?s=21


あくまで自分の観測した範囲の話だけれども、このような「固有名詞遣いについて語るのは本質ではない」という意見をちらほらと見かける。同じくカルチャーの固有名詞を散りばめた映画に「モテキ」があるけれども、「モテキ」上映時はこのような意見は見られなかった。

三宅さんのツイートを見る限り、固有名詞遣いが登場人物の年代と少しずれているように感じられるせいもあるかもしれないけれど。


まだ『花束みたいな恋をした』への不満を述べてしまうのですが、あれ登場人物の年齢より5〜10歳くらい上のテンションあるいはカルチャーだよね!?って思ったの私だけだろうか……(まだ文句言っててごめんなさい……)

https://twitter.com/m3_myk/status/1359792186817081349?s=21


時代、そして自分の所属している世代の変化を感じる。

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