月光

実家に帰る。町は明白に寂れている。自分が悩んでいることなんて気楽に、幸せに生きていること前提のなんでもないものなのだと思う。それは呪いのようであり、救いのようでもある。

幸せに生きることが復讐だという言葉がある。私はこの町に復讐したかったのだろうか。小学生の頃毎日通った、商店だった友人宅。薄曇りの壁面にくっついた大時計は現在時刻を指していた。

祖母の誕生日を祝う。祖母の略歴をかしこまった母が読み上げる。祖母の生まれた場所、疎開先、祖父との出会い、子が生まれるまで、家を建てたこと。祖父との出会いは簡単な筋だけだと、小説のようだった。気になったことが色々あって、その度質問したけれども、そのことだけは気恥ずかしくてきけなかった。

この類の気恥ずかしさは最も手にしていてはいけないことだと知っている。祖母が亡くなってから、泣きながら「恥ずかしさなんて心の穴に押し込みあの話を聞いておけば良かった」と日記に書きつける自分も、かなり高い解像度で想像できた。けれども何も言えなかったしそれでいいと思った。

夜、子どもを抱っこして外へ出た。人がはじめて月を見つける瞬間を、私は見たかったのだ。満月を指さすと子どもも真似をしたけれど、目は月を捉えていない気がした。

月は世界の表面に白を塗して、すべてのものの静かな部分を浮かび上がらせていた。月のほんとうの明るさが分かったからまあいいかと思った。

六畳間のピアノマン最終回。久しぶりにドラマで比喩じゃなくほんとに泣いた。良かったとしか言えないドラマ。心の底から良かった。

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