光のたてがみ

いつもより一つ先を行ったところの踏切で電車を待つ。しゃがんで子どもと同じ高さに目線を並べる。ネコヤナギが柔らかなひかりを浴びてじっとしていた。向かいのアパートからでてきたおじいさんは、舌を鳴らしてちぎったパンを放っていた。すずめが小さなくちばしに大きなパンくずをくわえているのが見えた。隣の子どもを見ると寝ぐせのついたちりちりのまつ毛がひかりをあつめていた。頬の産毛はライオンみたいな黄金色をしていた。いつもより少し大きくすべてがみえる。なにもかもに春が塗されていた。電車を二本見送る。


お世話になった方へのお礼を考える。リースづくりが趣味の方なので、ばらしたらリースに使えるようなドライフラワーのブーケを作ってもらおうと思い立つ。先日プリザーブドフラワーを買った花屋へ寄ると「どうでしたか」と尋ねられた。覚えてもらえていると思っていなかったので嬉しい。ブーケを注文した後、ミモザを一本だけ買う。ブーケを取りに行くとき、また何か買おうと思う。


火曜日のちちんぷいぷいが終わってしまった。いちばん好きな曜日だったので寂しい。ロザンはもちろん、沢松さんも好きだった。明るくて、お世話焼きで、何があっても大丈夫と笑ってくれるようなおおらかさがあって、でも少し抜けていてチャーミングなところもあり、周りの手を上手に借りれるような。そんな職場の年長者の人々を思い出した。そういう人がいるだけで職場の雰囲気というのはとてもよくなる。ブーケを渡す方はまさにそういう人だった。


大正ガールズエクスプレスを読んでいる。面白い。私はかわいくてどこか懐かしいものが好きだけれど、それだけが自分だと思われたくないし、それが自分だけのものだとも思いたくない、というようなことを考えた。

最初、上記の文章は「私・自分」を「女」にして書こうかと思ったけれども、主語が大きくてなにかを取りこぼしそうな気がしたので一度取り下げることにした。言葉はあらゆるものをひとくくりにしてしまう。それが悪い方向に働かないように吟味したい。

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