フェミニズム小説と百合小説

今日もスカートのアンソロジーを読んでいる。佐藤亜紀「スカートを穿いた男たち」、藤野可織「スカート・デンタータ」がとても面白かった。

どちらも自分の好みとは正反対のところにある物語(読むのも書くのも個人に拠ったものが好きなので……)だったけれども、とても面白かった。圧巻。構造というのはこう描くのか〜という感じ。

特にスカート・デンタータは連帯そのものに善し悪しを意味付ける危うさを描いていて、かなり信頼できると思った。

女を書かずして女を描いているという点で、この二作品は自分にとって道標的存在になった。フェミニズム小説と百合小説の違いが曖昧なところがあったけれども、これらを読んで少し明確になった。どちらの作品も主に書かれているのは男だけれども、それを通して描かれているのは(抑圧されている)女というテーマだ。そういう点でこの二つはフェミニズム小説だと言えると思う。けれども女は出てきても、キャラを負って(個人として)出てくるわけでない、関係を結ぶわけでもないので、百合小説ではないと思っている。

百合小説もフェミニズム小説も(言ってみれば少女小説も)異なる集合体であって、それらは入れ子になったりはせず、各々重なる部分があるということだと今は思う。

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