はやいものおそいもの

図書館の棚を眺める。400番台の入れ替わりは早い。概論はともかく、エクセルの使い方、ウェブサイトの構築の仕方、手術の方法など実用的なものは資料価値も低く、数年前のものですら除かれる。一方、100番台や全集、選書、学術文庫などは変わらずずっとそこにある。

これはどちらがいい悪いということではなく、その世界の周期が違う、ただそれだけのことだ。私は長いスパンで扱われるものが好きだが、短いスパンで扱われるものの恩恵にも与っている。スピードの速いもの遅いもの、どちらかが偉い、良い、と評価を下すことはできない。知恵や知識は普遍的なものだと書架は教えてくれる。

「社会」や「世の中」もそういうものだと思う。私はそれらの言葉を使うとき、SNSのタイムラインやトレンドを想定してしまう。そして社会のスピードははやいと思い込んでしまう。話題もモノも人もすぐに消費され、切り捨てられると。しかしそれは社会でなくSNSがそうなのであって、スピードがはやくない「社会」や「世の中」もどこかには存在している。そしてこれもどちらかが偉いということはない。図書の分類に迷うように、スピードが速い社会/遅い社会とはっきり分けられるものでもない。どの社会が自分にとって心地よいかという判断だけがある。

私は遅い社会の方が心地よいと感じるけれども、速い社会の恩恵を受けている。特にこうした表現の場において。この日記はSNSという速い社会にありながら、遅い社会の方が心地よいと感じる人に向けたものなのかもしれない。私はSNSでそういうものを見つけるととても嬉しくなる。

長いスパン、遅いもの、それらを表現するときの、速い社会との関わり方。写真家の濱田さんの姿勢はほとんど指針になっている。フォローやリストを少し整理してみようと思う。

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