伝えなくてもいい人生を過ごしたい

京都に来られた望さんとお会いする。Rokujian、平安神宮、モダンテラスへ。


話していて思ったことは、インターネット(というよりテキスト)越しに見ている人というのは、その人の一部を切り取って、その一部を大きく色濃くしたものなのだなあということ。実際に会ってお話した望さんはSNSで見るよりも豊かで、自分の人生をしっかりやっていて、インターネットで自意識を肥大化させている自分を地面に還してくれた。

言葉をうまく使えるようになりたい。けれどもそれ以上に、言葉で伝えなくても、また伝わらなくてもいいと思える豊かさを抱えた人生を送りたい。インターネットもテキストもツールだということ。対話をすると立ち返ることのできるその場所に、できればもう少し長くとどまりたい。




望さんからは『無数のひとりが紡ぐ歴史』という日記に関する学術書をいただきました。学術書をいただくなんてはじめてのことでびっくり嬉しい。それもブックファースト新宿店で開催されている『日記も哲学も同じ散文』というフェアの選書目録が購入特典であるのを踏まえてのことで(前にツイッターで欲しいとつぶやいていた)、す、すごい、すごすぎる……と頭が上がりませんでした。目録には知らない本ばかり載っていました。ありがたい……。


選者の福尾匠さんの日記私家版もいただいたのですが、日記ってこういうものだったなと感じ入る内容でした。日記について「書くべきことの稀少さを感じられるのはヘルシーな感じがするのだけど、やはりそれなりのキツさがある」と述べられている部分が良かった。基本的に日記って、好きで、ラクで、楽しくて、そうしたいからつけている、という印象があるのを感じていて、だから「日記書くのきつい」とは言いづらい。私もその印象を知らずのうちに内面化していたなと気づく。日記書くのだってきついときあるよ。というかきついと思う日が大半だよ。本気でやっててきつくないことなんてないんだなと思ったりしました。あらためて望さん、ありがとうございました。


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