楽しいこと

詩を書いてみる。下手くそすぎて笑ってしまう。というより、なにをもって下手だと自分が判断を下しているのかも分からなくて笑ってしまう。けれどもiPadのメモからワードに移して行間を変えてみたらなんだかいい感じに見えたりもして不思議だなと思う。下手くそだけれども、言葉とデザインどちらもやってみたいと思った。言葉をただ言葉として抱きしめられるしあわせを感じる。

本を検索しているうちに、坂口恭平さんのnoteに行き当たる。小説を休もうと決めるまでの自分の過程がそのまま載っていて驚く。


絵を1枚描くんです。1枚生まれることの驚きを忘れてしまった僕はどうなると思いますか? 絵を描くことをやめるんじゃなくて、絵の質の向上を求めてしまうんです。たいそうなものを描きあげなくちゃいけないと思ってしまう。絵を描くという行為の喜びを感じてやっていたはずですが、物事は必ず慣れます。慣れちゃうと、ただひたすら行為に楽しみを感じていたことを忘れます。(略)この状態は意外にも早く訪れます。
(略)
慣れると、周りが見えてきて、自分の絵がたいしたことがないということに気づきます。比較がはじまり、否定がはじまります。そうすると傑作を描かなくていけないと思ってしまいます。たとえ初心者だろうが、慣れていくと必ずそう思います。自分が傑作が描ける人間だと思ってしまっているのです。恥ずかしいですが、必ずその状況に陥ります。
(略)
失敗をしてはいけないと思い込んでます。自由ではありません。何を描けばいいか、なんて無駄なことを考え始めてしまってます。もちろん、そんな状態で手を動かしてますから、絵は不自由なものが出来上がります。満足いくものにはならないでしょう。行為自体に満足がいっていたのに、今度は描き上げた絵を見て、落ち込み始めるのです。これは僕だけでなく、多くの人が経験しているのではないでしょうか。 こうなってしまうと、良いものを作らないといけない、みたいな精神状態になってしまいます。
坂口恭平『継続するコツ』 
読む前にすでに答えを出していたから「これは自分のことだ」とすとんと腑に落ちたけれども一昨日までの自分だったら「作るからには良いものを作ろうとするのは自然なことでは」ぐらいに思っていただろう。このタイミングでこの文章に出会えたことに運命めいたものを感じる。

坂口さんは「楽しいことこそ継続せよ」と述べる。自分が書くことが好きなのはもう分かっている。日記だけは続いているのは、なにを書いてもいいから、「良いもの」を書こうとしなくてよかったからなのだと思った。今まで小説を書いていた時間を「楽しいことをする時間」にしようと決める。

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