刺激と興味

某キャラクターのコンサートへ行く。夏冬毎度、これで4回目。前回の夏公演で大きな生き物のバルーンが出てきて泣き叫んだのを覚えていたらしく、幕間になるたび「外に出る」と言って泣く。上演中は真剣に観ていたけれども(真顔で踊り小声で歌っていた)。もうここに来るのは最後になるかもしれないと思いながら観ていた。そう思うと、子どもにまつわる行事というのはいつか必ず終わり、しかもその終わりはいつやって来るか分からないのだなという当たり前のことに行き当たる。今日も公演後、富士の山菓舗でおせんべいを買い、麹屋京作でお味噌を買い、名もなき鰹節屋さんで削り節を買ったけれども(これも4回目。すっかり我が家の定番になっている)、これらもいつか訪れなくなりぱったりと我が家の食卓から消えてしまうのだろう。あっけなく切ない。けれどもここ行ったなとか好きだったなという場所が今後の人生にあたたかな余韻を残すことを私は知っている。それは家族をつなぐものにもなるのだろうと思う。

図書館に寄ったところたまたまおはなし会が催されているところに遭遇したので参加する。しかし子どもはずっと動き回り椅子を動かし静止すると騒ぎ、みんなの気を散らしており申し訳なかった。対象年齢が高かったのが大きいとは思うけれども『ガケ書房の頃』の「ある程度の年齢になるとキャラクターものしか見向きしなくなる。それ以外は一切目に入らなくなる」というようなフレーズを思い出した。その「興味」は「刺激」ではないだろうかと考える。我慢を美徳とは思わない。けれども興味を持てなくてもそれを切り捨てない子になってほしいと思う。たくさんのことに興味は持たなくてもいいから。

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