心ごと眠る

昼の12時まで眠ったり起きたり。結局、疲れはとれないんだよなあ、むしろ余計疲れるんだっけとなんらかの見出しでさらった知識とも呼べない事柄を思い出しながら、昨日ジュンク堂で買った『結晶質』を閉じたり開いたりしながら久しぶりに眠れるだけ眠った。

私は詩歌を知らなさすぎる。誰のどんな詩歌でも読むたびに「こういう詠み方があるんだ」「こういうことを書いていいんだ」と自分の詩歌に対する決めつけが壊されて自由になれる。驚きがある。そういえば小説を書き始めたときもそうだった。
小説を知らない、詩歌を知らない。なのに小説を書き始める。詩歌を書き始める。なぜだろうと思う。それをしあわせなことにするか不幸なことにするかは自分次第とも。

昨日、NHKでコロナ5類移行後の認知症患者とその家族たちの特集をしていた。ある認知症患者の娘さんが「(自分のことを忘れられて)会って悲しくなることもある。けれどもベッドの上で固まってじっとしているより、会って感情が動くのはいいことだと思う。悲しくても、やっぱり会えるのはいいんですよ」と仰っていた。いいこと、悲しい、を別の次元として考えて言葉にしているその姿はしなやかという単語そのものみたいだった。

後悔を銀のレードルですくって炭酸水で割って飲んだ
生きることから逃げるため心ごと眠ってから起きた日曜日

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