パンと理想

無事に4月から保育所に入れることになった。約2ヶ月後には職場に戻ることになる。

根っからの仕事したくない人間なので、落ちたら仕事せずにすむ……という気持ちがまあまああった(こんなこと書いたら怒られそうですが)。だから入所が決まったら、職場に迷惑かけずほっとする気持ち半分、仕事しなくてはいけない絶望半分、という心待ちになるだろうなと思っていた。

けれども実際は、ほっとする気持ちの方が大きかった。そしてそのほっとする要因は「職場に迷惑かけずにすむ」の他に、「自分が何者なのか探さずにすむ」というものがあるなと気づいた。

というのも、仕事を休んでいる一年半ほどの間で、学生時代の頃のような「自分って何者にもなりきれてない」という漠然とした不安がうっすらと降り積もっていっているのがなんとなく分かって、こういう気持ちって一生なくならないものなのかなとか考えたりして。

そういう漠然とした不安を取り払うのに、仕事って最適なんだよなあ。自分はこういうことしてます、って肩書きがあったら、確固たる自分みたいなものがあるような気がして。けれども仕事という形さえあれば確立する自分なんて、なんて貧弱なんだと思った。私はまだまだ幼い。

そして小説を書くこともそうなってないだろうかと考えたりした。小説を書くことが、自分が何者なのかを定義することの手段になるのは、とても嫌だ。描きたいものを描くために書く。書くことはいつも目的がいい。

そんな感じで4月からはお金のために働きます。描くために書きます。モラトリアムのような、漠然とした不安とお付き合いしながら、パンと理想の塩梅をとり続けます。

諸々の頻度は落ちるかもしれませんが、変わらずお付き合いくださると嬉しいです。

0コメント

  • 1000 / 1000