「麒麟がくる」

麒麟がくるが終わってしまいました。観ているときは良い大河だな、ぐらいにしか思っていなかったけれど、最後にかけてどんどん好きになり最終回が良すぎて、今、ロスに陥っています。。ここまでぐっときた作品に出会ったのは久しぶりで、そのこと自体がとても嬉しい。


歴史とは流れで、歴史が動く決定的な瞬間というものはない、という言葉は誰から聞いた言葉だったかな。数々の選択が重なっていき、そこから生まれる流れが歴史になる。麒麟がくるはそんな一つ一つの選択を明確な形で描いていたのが印象的でした。公方様か信長か、帝か信長か。


十兵衛はその選択に決定的な答えは出さずなんとか取り繕う。けれども久秀か信長かという選択を前に久秀を選んで(ここでの平蜘蛛の使い方がとても好きでした。フィクションとして完璧だと思った)、そこから綻びがでてきてしまい、公方様と帝の選択も取り繕えなくなってくる。そうして最終的には信長ではない方の選択肢が大きくなり、信長を殺すという選択をする。


だから燃える本能寺を見つめる光秀の横顔に被せられた、選択をする前の二人の様子を回想するシーンが胸に迫りました。幼い頃から愛されたかったのにうずくまるようにして一人で死んだ信長、若い頃から見ていた道三と同じ道を辿った光秀。選択が人をつくり、人が流れをつくり、それが歴史になっていくことが丹念に描かれていたと思います。


山崎の戦いは描かないのか、と少しがっかりしていたけれど、最後はこれ以外ないというぐらい爽やかに締まっていてこれで良かったと思いました(3年後に時間を飛ばすとか考えてもみなかった)。十兵衛にも信長にも駒ちゃんにももう来週は会えないことがとても寂しい。しばらくロスは続きそうです。

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