風をあつめて

今日も電車に乗っておでかけする。小さな雑貨屋を訪ねる。カルフやカウニステやムーミングッズのほかに日本の作家のうつわもあっていい感じだった。カルフは15cmからあった。いつか子どもに買いたい。その日まで自分のカルフも大切に履こうと思う。

住宅街を歩く。いろんな家の外観を見ながら住みたい家について考える。これまではガーリーな感じとか、IKEAに頼もうかとか考えていたけれど、民芸品にあう家がいいなと今は思っている。河井寛次郎記念館は無理だけれどああいう雰囲気がいい。

川沿いを歩く。カワウがいて、流れ落ちてくる水の下で魚を待っていた。カワウは水泳選手の飛び込みみたいに綺麗なフォームで潜る。全身水に潜り、しばらくすると水面に浮かんでくる。時々くちばしに魚をくわえていた。それを繰り返すのをずっと眺めていた。川面がきらきら光っていた。先週のとびだせ絵本の春来川と一緒だった。自然と風をあつめてを口ずさむ。今日は木曜日だったと気づく。なのにとびだせ絵本はもう観ることはできない。

五輪開会式のプロジェクト内部リークについて。有料記事は読んでおらず、以下はテレビニュースとツイッターで知ったつぎはぎの情報が前提である。

こうした旧時代の人たちのニュースをみるたび、和田誠さんの「銀座界隈ドキドキの日々」を思い出す。60年代の広告業界を描いたエッセイ。細かい内容については覚えていないけれども、広告業界のつながりの重要さ(とても狭い世界でまわっている)や勢いは印象に残っている(あと和田さんの温かくユーモラスな語り口も)。

そんな勢いの中で和田さんはデザイン・イラストの技術を身につけたわけだけれど、そうでない人だっていたのだろう。年代はずれてはいるけれど、こうしたニュースを見ると、勢いに任せて小手先と口先でつながりばかり強めて、権力だけが大きくなった人たちがやっと淘汰されているのだと思う。

そして自分を守り、救い、残るのは自分の頭で考えて実践して身につけたものなのだとも思う。小手先やつながりを否定はしないけれど、それは技術があってこそのものだということは肝に銘じておく。

そんな技術を身につけたMIKIKO先生の努力が世に知れることになって良かった。そもそもの事実は良くないけど(事実だとしたら)。MIKIKO先生はperfumeの特番でしか見たことはなかったけれど、彼女たちと信頼関係が築かれている様子や、彼女たち自身のパフォーマンスで実力者であり人格者なんだろうなと思っていたからやはりそういう人で良かったと思った。
そういう人が報われる世の中になってほしい。というかそうならないと困る。そうじゃない世界に子どもが生きてほしくない。だから自分もそうしていかないとと思う。

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