奥田亜希子『クレイジー・フォー・ラビット』

主人公が成長していく過程において五つの年代と、ままならない友情を描いた連作短編集。恋愛、進路といった青春小説に欠かせない要素はまるっとカットされていて、けれども、成長の過程を描くのが青春小説というのならこれは紛れもない青春小説だなあと思った。


些細なことで大きく変わる女の子同士の人間関係が具に描かれていて、一話目を読み終えたときは女の子特有の痛々しくじっとりとしたお話的なものかと思いきや、そうした痛々しさは抱え込んだまま、あくまで自然に希望的な方向へ進んでいくところがとても良かった。その自然さが表れているのが以下のフレーズ。


時は流れる。そして、時間が経てば大抵の人は変わる。自分だって、子どものころの心のまま大きくなったわけではない。P203


「本当の自分」をさらけだす友人関係をどこか嘘くさいと思いつつ、渇望していたり。そうしたいつか抱いた人間関係に対する問いや痛みの答えって、決定的な何かがあって手に入るものでなく、いつの間にかじわじわと身体に染みこんでいくように得ていくものなんだよなあ。その過程が丁寧に描かれていて新しいなと思った。最後に行き着くこの境地は、今だけを見つめてジャッジしなくて/されなくていいのだということを教えてくれる。肩の力が抜けました。


あと以下は気になったフレーズ。


「誰とだって、いつかはお友だちになるかもしれないの。だから、今、お友だちじゃない人を、お友だちじゃないからって、簡単に傷つけたらだめだよ。ママの言ってること、分かる?」P200


某メンタリストさんの発言があり、その流れで「人権を「やさしさ」「想像力」「思いやり」で処理しようとするからおかしくなる、人権はあくまで制度なのだ」というツイートが流れてきて。その理論でいうとこれは、人権を思いやりで処理しようとしている事例になるのではないかしらと思ったり。


一方でこのフレーズの主題は「傷つけること」ではなく「お友だち」の方に置かれているし、これがこの小説内では最良の答えだとも思う。こうした小説内外のズレに対してどう考えるかまだはっきりしていない(近代文学と同じような距離感でいいのだろうか……とか)。頭の隅に置いておこうと思う。


女の子生活年鑑のような趣もあってとても面白かったです。

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