一穂ミチ『今日の日はさようなら』

2025年、高校生の明日子と日々人の前に現れたのは30年前の女子高生、今日子。ひと夏の3人の共同生活を描いた青春小説。


知らないことを知るって、本を買ったり図書館に行ったり、先生とか親とかおばあちゃんに訊いたり、適当にやってみて失敗したり、お金か労力のかかるもののはずなんだけど、2025年に来てみたらこうしてすぐ分かる。一生知らないはずの知識がインターネットでいろんな人のところを回ってる。何をどこまで知って生きていけばいいのか不安にならない?P93


質問の形式にして誰かに賛成してもらわないと、意見として認められないのかなって思っちゃう。(略)これも二十一世紀のマイルドかな。P39


社会が「進んだ」ことで新たに生まれた問題を切り取っていく様が鮮やか。「30年前の女子高生が現在を見て抱く疑問」という形で提示されるその問題を、読者は明日子とともに受け取り、考えることになる。果たして社会は本当に「進んだ」のだろうかと。


30年前と現在の比較から立ち上がる社会に対する疑問はつまり自身の生活そのものに対する疑問で、社会と自分は重なっていることを実感する。面白かった。


その謎なくても面白いのにな~といくつかの場面で思った。ミステリを楽しむ心が欠けている。。

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