2022年の春のこと

3月29日
社会に対する不信感というぼんやりとした事柄も、卑屈になって垂れ流していた愚痴も、知識を得ることで解体できる。けれども自分で行うのはなかなかに大変で、だからこうして冷静に柔らかく解説してくれる文章に救われる。誰かや何かを救う(掬う)文章というのは、感傷的で感情的なフレーズだけではない。

ずっとお世話になっていた清掃係のおじいちゃんに餞別の品をいただく。「非公認アンバサダーだから」と言って故郷の名産品の詰め合わせを渡してくれた。ここにも競争から離れた場所があったことを覚えておこうと思う。

夜、近所の桜を見にいく。古い洋菓子店でお返しの品を買う。いくつかの焼き菓子がパックされたものがセットになったもの。おじいちゃん夫婦が持て余さないよう、賞味期限の長いものを。誰かにお裾分けできるよう、ひとパックでもボリュームのあるものを。やっとそんな風に贈り物を選べるようになった。

3月30日
今日で朝マックは最後。豪勢にいこうとてりたまマフィンを頼むも作り方が雑すぎて笑う。食べてから今年の振り返り。注文を受けてくれたクルーは初めて見る女の子だった。はじめてのアルバイトなのかもしれない。春だ。

やり残したことがまだある気がして焦りながら一日仕事をしていた。職場の周りの桜はもう満開近い。外出時に撮ってみたけど目に映るようには撮れなかった。昼休みに久しぶりに休憩室を使い、朝ドラの再放送を見ながら感想を話す。健全だと思った。

最後、売店で本を買おう。その本を見たら今のことを思い出せるように。と思い小さな本棚を眺めるも、何も買わずに帰った。

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