春は溶けて

最終出勤日。朝の通勤、インディゴの「春は溶けて」を聴きながら、シャキーン最終回の感想を検索する。

掃除のおじいちゃんとの別れで泣く。その時々の感情で動いてしまう、大げさで浅ましい、自分の嫌なところだ。それはやはり自己中心的な性格からきているのだと思う。とはいえ思い出しても泣けてくる。

午後、ご挨拶のメールが来ていた。私もその方に挨拶のメールを送ったところだったので行き違いになった。その方のメールは丁寧で、かしこまった表現を使いながらも柔らかく、文面全体から相手に対する労りや励ましが滲みでていた。対する自分のメールはひどく幼く見えた。これも自己中心的な性格のせい。それに加え、言葉の扱いが下手。

その方は歌を詠まれていたそうで(多分過去形なのだと思う)、とある歌人の方が、その方が学生時代に詠んだという歌をツイッターでひかれているのを見たことがある。春の陽光を掬いとったようなあたたかな歌だった。やはり文章が巧い人はどんなシーンの文章も巧い。

自己中心的な部分を知り克服していくこと。それが生きやすさや文章の巧さにつながるだろう。

帰りはスマホを見ず、本も読まず、ずっと車窓を見ていた。線路沿いの桜。公園の桜。桜に溢れたこの街。通っていた産婦人科。二度と降りることのない駅。カーブの続く線路。コーという電車のブレーキ音。車窓から見える先頭車両。家々。その一つ一つに関わることのないありふれた生活がある。

夜、子どもとベッドに入る。歌を歌う。目を閉じるとそれらの景色が浮かびあがった。

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