秘密

昨日、子どもに「どこ行くの?」をきかれたので「ひみつ」と答えると「ひみつってどこ?」と言われた。今朝子どもは朝ドラの「今度の日曜学校来てや」「何があるんや」「ひみつ」という舞ちゃんとお父ちゃんの会話を聞いて「ひみつだって!昨日ひみつ行った」と嬉しそうに言っていた。


先月、保育園の見学に行ったとき、年長さんの女の子たちが見学者たちを横目にこそこそ話をしていた。別に自分のことを言われているとは限らないのになぜだか緊張した。秘密というものにとても敏感になっていた思春期の張りつめた感じを思い出す。

私は今も秘密という言葉にあまり良い印象がない。誰かと親密になるためのものというより、誰かを排除するためのもの(自分が排除されるためにあるもの)というイメージがある。

今子どもが通っている保育園は2歳児しかいないのでみんなたどたどしい言葉で会話のようなものをしている(それでも流行りはあるようでみんなお別れのとき「バイバイ」ではなく「バイバイシー」と言いあっていた時期がある。面白い。)。しかしそんな心からそのまま飛び出したような言葉を交わす時期ももう1,2年すれば終わるのだ。隠したり隠されたり、我慢したり我慢させられたり。人が心やすくいられる時期はほんとうに短い。

しかし私もそうこうしているうちに身の回りの「秘密」も気にならなくなり(というより秘密を遠ざけているような気もする)あのころに比べたらずいぶんリラックスして毎日過ごしているなと思う。ドタバタだけれど心は穏やか。秘密を気にしなくなることが大人になることなのかもしれないと思ったりしている。


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