みなと花火

月曜日から毎日夕方のニュースでみなと花火の様子が中継されていて「明日行こうかな」と思いつつ翌朝には忘れるということを繰り返していた。金曜日は混むだろうから今日行くことに。子どもを迎えに行き、次くる電車に乗れば5分は見れるとグーグルマップの経路を信じて電車に乗る。「どこ行くの?」をきかれたので「ひみつ」と答えると「ひみつってどこ?」と言われた。まだ秘密の意味を知らない時代。いいなあそんな時代、と思う。

着いてからの経路を確認する。スマホの充電は残り4%で、地上に出てただ海の方へ向かって走るということだけ頭に入れて機内モードにする。

駅に着き、子どもと手をつないで、ときに抱っこして真っ暗な道を海に向かって走った。途中、大きな道に出たところでビルとビルのあいだから紫色のわっかが見えた。

「花火だ!」と言ってまた走る。抱っこして歩道橋を渡る。降りてまた手をつないで走っていると、後ろにいたOLさんもひとりで走りだした。少し行くともう目の前は港で、よく見る観覧車とコンチェルトが上品に光る神戸の風景だった。さっきまでまっくらだったのに。

船着き場辺りは人がおらずゆったり見れた。写真は綺麗におさまらなかったので、一度撮ってあとはただ空を見上げていた。


花火は綺麗だった。けれども晩秋に見上げる花火の印象より、昨日までテレビで見ていた場所に自分がいるという感慨の方が大きい。田舎に住んでいた高校生までは「テレビでやってるから明日ここ行こう」なんて発想、微塵もなかった。このスタンスが身に染みているから、いつもこういうことをするとき、自分は都会に住んでいるのだと我に返るような気持ちになる。

0コメント

  • 1000 / 1000