時代祭

昨日は時代祭へ。先々週の平安神宮の衣装ツアーに参加していたから今まででいちばん楽しめた。

時代祭は装束を楽しむものという前提ができたからだと思う。パフォーマンスを期待してしまうから齟齬が生まれてしまう。延暦時代から明治期まで一貫して都であり続けた京都が可視化されて、明治国家が京都に背負わせようとしていたものが浮かび上がる。近代の京都の色が濃く残る祭。今年は子どももいるしと有料観覧席にしたけれど、次からは普通にビニールシート敷いてピクニックがてら見ようと思った。


撤収まで見届けた後、物件のオープンハウスへ。町家を改装した一軒家は自分の思い描く一軒家そのものでこんな家に住めたらなあと思うも、相談にのってもらううちどうもこうした物件は我らとは違う階層の人々が購入するようだということが判明。しかしそんな我らにも社員さんは物件や家の購入全般について親身に教えてくださりご丁寧に駅まで送ってくださった(もちろん購入を勧められるようなことはなかった)。それも営業をかけなくとも客の方からどんどん来るからだろう。お金がなくても心にゆとりを持って生活をしている人を私は知っているし、ずっと憧れとして心にあるけれども、お金の余裕は態度の余裕、心の余裕と相関しているとも思う。これで京都住まいの線はほぼなくなったけれども、やっぱりいつかは住みたいなと憧れは募るのでした。

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