愛情

子どもの誕生日だったので休みを取り、保育園のみんなと散歩中の子どものもとへ。平日お昼前の公園は子どもたちの声がそこかしこから聞こえてきて、園内の整備をするおじいさんたちが子どもらに手を振ったり、ベンチにはコーヒーで一息ついている青年が一人ぼっちでいたり。平和だなあと思う。休日よりも一人一人の抱える生活の色を濃く感じる。それからいつも連絡帳で読んでいる、どんぐり拾いをしている茂みやかけっこしている坂道へ実際に行って一緒に遊んだ。それから一緒に給食を食べて、バースデーカードをもらって帰宅。先生にたくさん愛情を注いでもらっているのだなと感じて胸がいっぱいになる。

図書館に行く予定だったけれども途中でさっきの公園に行きたいと言いだし、また公園へ。商店街で買ったパンを齧りながら、子どもが大きな滑り台を、登って滑ってを延々と繰り返すのを見ていた。水色の空は高く、雲は一つもなく、陽射しは黄金色だった。秋の風が吹いて、階段をのぼる子どもにプラタナスの黄色い葉っぱが降ってきた。桜が散るように綺麗だったのに、手のひらより大きな葉がどんどん降ってきているのに、子どもは気づかず夢中で階段をのぼっていた。それを見て、なぜだか涙が滲んでしまった。それは子どもに対するよくここまでたどり着いたなあという気持ちと、私自身が、こんなに穏やかな気持ちでいられる日々が来るとは思っていなかったという気持ちと、なんだか他にもあった気がするけれども今はうまく思い出せない。

なんでもないタイミングで泣いてしまうのは、漫画やドラマではよく見るけれども、こういうことは本当にあるのだなあと思った。よつばとの父ちゃんの気持ちがよく分かった。
子は勝手に育つという言葉がある。それは確かにそうだと思うけれども、ベースに親や先生という愛情を注いでくれる保護者の存在があるから勝手に育つことができるのだと感じる。いつでも勝手に育っていけるよう、私は愛情を注ぎたいし、愛情の意味を考え続けたいと思う。

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