朝から子どもと安満遺跡へ。トランポリンがしたいのだと言う。水に溶かした絵の具を薄く画用紙に滑らせたような秋の空。緑の芝生に埋まったトランポリンを、結局、子どもは3時間ほぼずっと跳び続けていた。よく飽きないなと思っていたけれども、そういえば私も幼い頃、少し遠くの施設へ連れていってもらっては毎度毎度ボールプールをしていたことを思い出した。私がボールプールにいる間、親はどんな気持ちで待っていたのだろうと日陰に座り込んでぼんやり考えていた。

それから椋本さんの『夢見た旅』を開く。はじめ太陽のひかりはページを斜めに切り取っていたが、気づかぬ間にページはすべて陽に照らされていた。地球はまわっていて、太陽は動いていて、影は円を描くように形を変えることを実感する。日時計の気分だった。

『夢見た旅』は屋外で、こんな風のある日に読むのがぴったりなエッセイだった。読み終えて顔をあげると「自由」というフィルタが瞳に実装されていた。それは学生時代の、これからなんでもできる、なんにでもなれるという感覚と似ているけれどもそれだけではない。目の前で飛び跳ねている子どもと過ごしている(過ごしてきた)生活そのものが旅であると捉えられる。この生活、いま現在が旅だとわくわくできる。そんな感覚になった。

スマホにはみてもいないメルマガのお詫びと訂正。私の言葉もそんなふうに人々の生活を上滑りしていくとしても、かけがえのないものであるということ。

遊んだあとは梅田で買い物をして帰る。阪急の窓からは天使の輪のようなスカイビルが見えた。

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