誕生日

2023/11/18
子どもの誕生日。幼稚園の行事のち誕生日パーティーの予定だったけれども、行事が中止になり朝から夕方までパーティーの準備をしていた。「折り紙 花 簡単」で検索してでてきたページを見ながら花を折る。しかしなかなか手順が多く面倒臭さが勝る。折り目をつけるためだけに折りまた戻すという工程もあり、完成系が分かっていればこの手順は要らないのではと思い、勝手に端折ったりした。けれどもそのせいで、次の工程にもっと時間がかかった。結局折り目は必要だし、数を重ねるごとにはやくなるし、上手くなる。そういえば小説もそうだったなと思う。大体のことはそうなのかもしれない。物事の筋を身体で覚えるような時間だった。

予約していたケーキとお花を取りに行き、さあパーティーの始まりだ!の瞬間に眠る子ども。まあ明日にするかと親だけでご飯食べたところで突然起床。当然不機嫌なので、ケーキを目の前にしても泣き、ろくな写真は撮れなかった。けれどもこれも親の都合。ひっかかることやちょっとやだなと思うことがあってもその場にいる人(特に家族)の期待に応えたくてそれっぽいリアクションをとる人間になってしまったから、子どもにはせめて家族の前だけでは素直でいられるような環境をつくっていたい。

それでもいてくれたらそれでいいんだよという気持ち、しあわせだなとか、身体にずっしりとくる疲労にも似た重みとか、プラスとマイナスでは表現できない感情が渦巻いて布団の中で泣いた。一般論、そしてあなたの論にあてはめてくれるな、という体験ひとつあればそれで生きていけると思った。それがハッピーなことでなくても。

2023/11/19
園の行事へ。先生や職員さんが皆子どもたち一人一人のことをきちんと見て、尊重してくださっているというのが伝わってくる時間だった。家庭でも園でもこれだけ大切にされて、それはもちろんいいことなのだけれども、そうじゃない「私にとってあなたはどうでもいい」とされるシーンに出会ったとき子ども(たち)はどうするのだろうと、考えても仕方のないことを考えてしまった。そのシーンを軽々飛び越えるために、大切な人に大切にされているという実感が必要なのかもしれない。今日のような時間が必要なのかもしれない。

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