四条の街を歩いて帰った

昨日、四条烏丸~河原町(河原町通以北)を歩いてみて、増えていたと思ったもの。一つ、韓国、台湾、中国などアジアの国の雰囲気をそのまま持ち込んだようなお店。二つ、大衆食堂的世界観のお店。三つ、おしゃれな外観・内観の本格派ビアスタンド。一つ目に関しては(二つ目もかも)なかなか海外に行けないからかなあとか考える。もしそうだとしたら、コロナ禍になり自由に旅行できなくなり、その需要を満たすようなお店ができて、流行る、それぐらいの時間がコロナ禍になってから経ったのだなと思う。


京都にはそれまでも美味しい中華や韓国、台湾料理のお店はあったのだけれど、そこと今回見つけたお店が少し違うのは、内観・外観から調度品や食器などの細部まで現地っぽく統一されているところ(雑誌やインスタを見た限りだけれど)。それは個人のこだわりがそうさせているというより、一つの見本があってそれにのっとって選び取られているという印象がある。個人は後景に、その国らしさというコンセプトが前面に出ているお店。


お店というものはチェーン店を除けば、あらゆるもののなかから内観・外観や調度品や食器を選ぶことで、オーナーのセンスが形になった場所だと思う。そのセンスを作る元が個人でなく、大きなものになると、お店はアニメイトのコンセプトカフェのような、テーマパークに近くなる。


統一というと連想するのはインスタ。少し前までインスタで流行っていたのは、食べ物単体が綺麗だったりインパクトがあったりするものだったけれども、今はお店全体の見栄えが良いものにシフトしていっているのかなと思う。食べ物の綺麗さよりも、その空間(にいる自分)の綺麗さを伝えることが大切。動画が主になってきたというのもあるかもしれない。だから食べ物も、単体で完成するよりその空間に馴染むことの方が重要で、過剰にデコレーションされた食べ物というのは最近見なくなった気がする。


二つ目の大衆食堂的世界観のお店もそれと似たようなものだと思う。大衆食堂と同じく古い喫茶店も流行って久しいけれども、それは店全体が創業当時から変わっていないことで、時代が過ぎ、人々の当時への解像度が低くなり、コンセプトカフェみたいに映っているからという側面があると思う。元々は個人のこだわりが詰まっているものなのだろうけれど、経年によりコンセプトカフェっぽく見えてくる。もう一つは、それでもそこに漂う個人の匂いに触れることができること。古くから続く大衆食堂や純喫茶は、そんなコンセプトカフェっぽさと、個人の匂い、どちらも兼ね備えていると思う。私は前者にも後者にも惹かれるけれど、後者がないと好きとは言えない。そして個人の匂いが感じられるかは、やはり訪れてみないと分からない。


新しくできていた台湾や韓国や中国のコンセプト食堂も、訪れてみたらほんとうは個人のこだわりが詰まったものかもしれない。だから行きたいのだけれど、客の年齢層が見るからに若く、昔LIFEのコントであった流行を終わらせるおじさんになってしまうようで行けない。子連れだし。子どもが連れていけるぐらいになるまで残っていたら行きたいと思う。


三つ目のビアスタンドについては、お店の見栄えの良さだけではなく、美味しさだけでもなく、美味しさもおしゃれさもどちらも合格したものが今は必要とされているのかもしれないと思った。


四条あたりのお店は大阪の流れを受けているだろうから、大阪ではこういうお店がもっとたくさんあるのかなと考える。コロナ禍による街の変化はインバウンドの波がきたときよりも緩やかな印象。前向きな気持ちほど強く速いのだと思う。

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