#鎌倉殿の13人

鎌倉殿をみる。今回(三郎が小四郎に本音を打ち明けるシーン、からのラスト)で一気に締まったように思う。コメディ的温かい雰囲気を切って落としたのは中世ならではの血で血を洗うドロドロ具合。家や血という枠で物事を捉え利用し利用される人間たち。物語の外側で裏切ってくるあたりに脚本の本気具合を感じたし、新選組とも真田丸とも違うことをしようとしていると感じた。

今まで近代以前の大河で登場人物が個人的ドラマを展開していても、そこを除いてはテレビドラマは成り立たないだろうしそこを追求するのは野暮なことだと思っていたから、個人が生まれる前の物語を真剣にやろうとしているところに新しさを感じる(セリフが口語的だったり細かな部分が現代っぽいのはこれを補うためなのかなと思ったりしている)しこれは最後まで観なければと思う。


文フリ京都で買った阿波野巧也さんの『百日百首』を読む。以下、いいなあと思った箇所の引用。


既存のシステムに対して180度反対を向いた逆張りというのは実は難しくて、既存のシステムと折衷しながらより高い次元へ歩みを進めることが重要だと僕は考えている。(略)古き良き価値には一定の価値がある一方で、その中には旧態依然としていたり価値そのものが権威化していたりする部分がある。同様に、新しいとされる価値の中には、その価値観そのものが大量消費社会にあまりに順接であったり、「既存に対するカウンターとしての価値」を作ること自体が目的化してしまっていることもあるのだろう。P33


いい短歌をつくるには、短歌とは何かとか、自分の短歌は何がしたいかとかをずっと考え続ける必要がある。僕は自分の短歌はかなり快楽性を求めて作られてしまっていると思うけれど、手ぐせより奥の、そういう心の癖にいかに近づいたり離れたりするか、ということをやっているうちに意識した。P54


仕事をし、コンテンツを摂取し、詠む。揺れながらも大きな流れの中に身を置く日常を読みながら、大きな文脈に自分を接続しないと先には進めないとあらためて気づかされる。どこにどう接続すべきかということを、昨年あたりからずっと考えている。こういうものは決めようと思って決めるものではないから、ずっと頭の片隅に置いておこうと思う。


もう少し小さなボリュームで聴きたいと思ってiPadの音量ボタンを押したら音楽が消えた。

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