仕事

今日で自宅待機期間終わり。朝、上司へ連絡しようと思ったら、明日からどうかとすでに連絡が来ていた。連絡が遅いとか言われているのだろうと思うと気が滅入る。


夏ごろ他部署に異動になった人のことを思い出す。連絡なしに突然1週間ほど休んだその人は、今の職場に復帰した後、異動していった。休んでいた1週間、ずっと職場のことを考えていただろうと思う。復帰する前夜は今の私のように、暗く重い気持ちが頭をもたげていたのだろうと思う。復帰から異動までの1週間、どんな気持ちで働いていたのだろう。私は明日からそれを体験する。


休んだことや異動になることを何も説明されない、誰も触れない、なのに送別の品の準備は進み、当日はひな形をあてはめたように感謝の言葉とともに送り出す。おそらく要因になったであろう上司も含め。あの不気味さ。

私はコロナで休み、転職という形をとったからそれとは違うかもしれないけれども、それがただの「形」であることはみんな知っていると思う。だから何も違わない。


好きだった職場をこんなに厭わしく思い離れる日がくるなんて思いもしなかった。職場全体に漂うようになった不寛容な空気。それは人が変わったからではあるけれども、そもそも仕事をやる上ではそうして厳しく管理する方法がもうメジャーなのだ。入った当初の、個々人のモチベーションにゆだねられている状況こそおかしかった。おかしかったのかもしれないけれども、互いの仕事に敬意を払い、管理せず/されずとも仕事に対して自ずと前向きでいられたあの状態の方がよっぽど健全だったと思う。効率化という大義名分で管理され、委縮して、勝手に見積もられ。それで効率が上がっているとは私は思わない。こんな生意気なこと口が裂けても、誰にも言えないけれども。言ったとして、「みんな仲良しの頃が懐かしいんだね」ぐらいにしか思われないだろう。

だから自分はこれからも黙って、旧時代の雰囲気が残る職場に流れ流されていく。


在宅期間中に知ったこと、思い出したこと。朝の教育テレビのやさしさユーモア、昼過ぎのキッチンに射しこむ光が美しいこと、春の夕のまったりとした空。自分が働くのに向いていないということ。


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