「カムカムエヴリバディ」

カムカムエヴリバディ最終回。あんこ、ジャズ、朝ドラ、野球、そしてラジオ英語講座。親から子、子から孫へモチーフが繋がっていく。その様が安子るいひなただけでなく、周囲の人々まで丁寧に描かれているのが印象的だった。縦に横に、つながりの中に自分がいる。これぞ人生、これぞ朝ドラ。作り手の朝ドラ愛をひしと感じた。

特にるいが雪衣さんにかけた「人は誰でも間違う」、一子さんがるいにかけた「意味があるかなんて分からなくても、目の前の人のためにできることをする」という言葉が響く。間違った者を「間違った」というその一点のみにおいて評価し、こてんぱんにやっつけて再起を許さない。損得勘定で動くことはもはや自然。そんな今の世に投げかけたメッセージと受け取る。

この二つの事柄は根っこで「長い目でみる余裕がない」ということに繋がっていると思う。たった一回の間違いで切捨てる。そんな人と付き合うのは自分にとって得じゃないから。こうなったのは社会の貧しさが心の貧しさに繋がっていっているからで(貧しいって言葉本当によく見聞きするようになった)個人でどうにかせよとは思わない。でも抗うことはしていこうと、100年という長い目で描かれた物語が教えてくれた。

あと個人的に近年観てきた朝ドラがスカーレット、おちょやん、と「女が自身の力で生きていくこととは」というテーマを描いたものだったということ、また昨今のトレンドキーワード(というと身も蓋もないのだけれど)母娘では「母の呪いをいかに解くか」みたいなところにフォーカスがあてられがちなことから、血のつながりのある家族を描いて大団円!というのがとても新鮮に映った。こうと決めた方向に振り切った作品はどうあったって胸を打つ。「スター」の、一つの作品の中で多様性を示さんでもええんやで(意訳)というシーンを思い出す。血が繋がってても繋がってなくても、言葉にできない関係性でもできる関係性でも。そうと望めばぜんぶ肯定されてほしいよ。

そしてあらためて、教科書に載っているような人物から名もなき土地の人まで、一人一人の人生を丁寧に捉えた「青天を衝け」は朝ドラ成分多めの大河だったなと思う。先日の逢坂さんのインタビュー然り、歴史を個人の物語として捉えていく時代物はこれからも増えていくように思うし、そうなると嬉しい。

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