新選組!と鎌倉殿の13人

昨日の鎌倉殿の余韻で今日一日を過ごしていた。史料を尊重しながらめいっぱい物語をやる。本気で「史実では~」勢を殴りにきている姿勢がとにかく痛快。そして毎度、観終えるたびに歴史とは何かと考えてしまう。


新選組で山南さん切腹回は死を受け渡す側もみんな涙してたのに、今回は逃げ惑う広常をみんな見て見ぬふりするというこの落差よ!と思っていたけれど根は同じと思った。視聴者の立場が静粛する側からされる側になっただけのこと。頼朝の「謀反人じゃ」はトシの涙。


個人の内にある心情や個々人の差異をまったく無視して、立場や持ち物など個人を規定する枠で一面的に人を捉えなければ、大局的に見て物事を動かすことはできない。つまり人を物として扱うのが政治ということ。

上位に立つためには思いがけない人を殺さないといけなくなる場面が不意に訪れる。頼朝の力の大きさを見せつけながらも頼朝の手も及ばなくなる場所が出てくるという、政治そのものの力の大きさ、それを前にした人の無力さ、後に残る虚しさが描かれていた悲しい回だった。小四郎に向けられた平六の台詞は、視聴者に向けられたものでもあったと思う。


頼朝の「謀反人じゃ」がなかったら、うわあ全く別のことを描いたなと思っていたけれども、最後の最後に!そして広常の死と引き換えに小四郎の将来の希望(御恩と奉公制度の成立と泰時の誕生)が描かれて涙。しかしこれが希望になるのかどうなのか。先が読めぬ面白さ。


ツイッターで回ってきた三谷さんの朝日新聞のコラムを読んだのだけど(著作権的にアレとは思いつつ)、隅から隅まで面白かった。そこに広常は鴨だとはっきりと書かれていた。肝心なシーンでいつも小四郎の側にいる平六はトシだし、八嶋さんは武田観柳斎から武田信義になるし(胡散臭い感じが似てる)。テーマもストーリーも新選組と対になっているのが鎌倉殿という印象。


しかし個人的には才気あふれるにもかかわらず、年齢と血筋という自分ではどうしようもない条件のせいで悲しい末路を辿った真田丸の中川秀頼が、中川重忠になってスマートに場を回しているのに泣ける。中世はなんだかんだで自由な時代だったのだなと思う。

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