私の好きな物語

子どもと公園で遊ぶ。帰るとき子どもが「まてまてした、水鉄砲した、滑り台した、ぜんぶ楽しかった」と言った。全部、絶対、必ず。そんな極端な言葉が持つ危うさ(それは実際の効用だけでなく、使えば誰かに揚げ足をとられるという意味でも)を知ったから、その言葉はより尊く聞こえた。ぜんぶ楽しいなんてことはない。でもぜんぶ楽しいと言いたくなる瞬間は確かにある。


鎌倉殿、今回もとんでもなく面白かった。周囲のせいで悲しい末路を辿ることになった「悲劇の義経」イメージから「自業自得の義経」へ。でも自業自得だからって視聴者は「それみてみろ!」とはならない。自業自得は自業自得なりのままならなさを抱えていて、もちろんそこに怒りや悲しみもある。自業自得ながらもそれがなぜ悲劇として今日まで描かれてきたかが見えてくる脚本が素晴らしかった。最後、自身の業を受けとめる義経を見て、遠いところまで来たなと思った。あと静御前と里がたんなる悲劇として描かれていなかったところも良かった。


鎌倉殿をみているとき、とくに何の関係もないシーンで、ずっと勘定をしていたいと言っていた小四郎や、「頼朝なんてどうでもいい」と言った三郎兄さん、「顔そっくり!」と言った義経など過去のシーンを思い出すことがある。そして上記のようにずいぶん遠いところまできたなあ、なんて思う。そういう瞬間が、切なくもあり、物語に触れていて良かったなと思う瞬間でもある。そういう瞬間のある物語が私は好きだ。

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