解像度
短歌研究新人賞の選評について。一線で活躍されている批評家や作家さんの意見を見る。『タイム・スリップ芥川賞』を読んで覚えた、“芥川賞から見えてくる「文学」(文壇と言った方がよいのかしら)はほんとに一部の人(賢い男性)たちが作り上げてきたものなんだな”というボンヤリとした感慨の解像度があがる。感想全文は以下。
特に、下記にツイートたちは的確ではっとしたので忘れないように貼り付けておく。
これ、一般的に異性愛者男性の作家が人生がつらいとかいうことを書いても「文学」とされるんですけど、女性の作家とか異性愛者じゃない作家とかが書くと「社会問題」とされるんですよ。そもそも文学的かどうかの判断じたいが男性中心的・異性愛中心的なんで。 https://t.co/foyVjkEEZS
— saebou (@Cristoforou) June 23, 2022
こういうのとかもそう。文学的/社会的であれなんであれ常に分割線は長い間その場を占有してきたシスヘテロ男性を基準としていて、でもそれは意識化されず抽象的で一般的な話として語られているという…… https://t.co/VJuJZ1CC7b
— 水上文 (@mi_zu_a) June 23, 2022
一方、当の選者のツイートはやんわりとした口調ながらも絶対に自分を疑わないという態度が滲み出ていて既視感を覚えた。私はこういうのから逃げてきたし、逃げたいのだと思う。そういうものから身を離しながら、たたかう方法はきっとある。私はそれを身につけたい。
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