同じことをしている


母と兄弟、そして子どもと姪っ子と出かける。人の話を聞かない、まったく噛み合わない母の振る舞いに、むかしは憤っていたけれども、今はもう、生まれた感情をしまっておくことができるし、しまったところで変に歪んだり爆発したりもしない。ただそれは「あったこと」として記憶され、この季節にしては涼しい風や美味しいご飯などとるに足らないことで上書きされ、しかし何かの拍子で思い出してしまうかもしれないという予感だけが残る。先日読んだ『冴子の母娘草』、昨夜読んだ『くるまの娘』のことがずっと、うっすらと頭に残っていた。

帰り、バスの中で吐いてしまった子どもがいた。あの子は望んでここに来たのだろうかと思った。そして私も、同じことをしていると思った。

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