感覚

久しぶりの通勤、しかも酷暑。いくらCMしているとはいえ抵抗あるなと思いつつ、マスクを顎にかけて自転車で駆け抜ける。気持ちよかった。五感が研ぎ澄まされる、とまではいかないけれども、音がクリアに聞こえる気がしたから不思議だった。タイヤがすれるボーという音。エンジンのゴーという音。青信号がピョンピョン鳴る。スズメはちゅんちゅん鳴いて、私が通り過ぎると飛んでいった。赤信号で止まると右隣の人も左隣の人も、向こう側の人も、マスクを外していた。ある人はマスクを外しているものの、口をぎゅっと結んで、しゃべりませんよというような感じで自転車を漕いでいた。
でもいつかマスクをしなくてよくなったとして、職場ではマスクをしていた方が楽だなと思う。マスクをつけることそれ自体を、良い悪いとは判断できない。マスクとの付き合いも長くなったなと思う。

久しぶりに出勤して、はじめて働くっていいなと思ったかもしれない。全然大したことはしていないし、誰かに何か言われたわけでもないし、ただただいつも通り手を動かしていただけだけれども、それだけで帰ったら何書こうかなとか、子どもはなにをしているだろうとか、働くこと以外のことも前向きに考えられた。それは働いているからというより、子育てをしている自分、小説を書いている自分、インターネットの自分という、比較的家にいる自分から、働く自分という外へ出る自分へ移動したからだと思う。だからこの働く毎日も続けば鈍化してくると思う。
誰かと誰かの関係性の中の自分を、まるっと自分だと思ってしまうのが薄らいで、世界と自分とが一対一だという感覚が降りてくる。いろんな自分を持っていれば、その感覚は維持しやすい。

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