2022年に読めてよかった本10冊

2022年に読めてよかった本10冊について書こうと思います。といっても過去に書いた記事の再掲かつ下半期ほとんど本を読めなかったので上半期とあまり変わりません。以下ベスト10(読んだ順)です。

1. 永井玲衣「水中の哲学者たち」
2. 若松英輔「本を読めなくなった人のための読書論」
3. 島田潤一郎「古くてあたらしい仕事」
4. 山本 善行,清水 裕也「漱石全集を買った日」
5. 池田彩乃「発光」
6. 年森瑛「N/A」
7. 橋爪志保,なべとびすこ「府立短歌」
8. 東直子「一緒に生きる」
9. 関口良雄「昔日の客」
10.坂口恭平「継続するコツ」

小説が「N/A」しかないという……。個人的にそういう時期だったのかなと思います。それでも胸に突き刺さる「N/A」はすごかった。「水中の哲学者たち」と並んで今年のベストです。ほか小説で良かったのは君嶋彼方さんの「君の顔では泣けない」と佐原ひかりさんの「人間みたいに生きている」でした。ベスト12だったらこの2作品を入れていたと思う。島田さんの本は1冊に絞っていますが「本屋さんしかいきたいとこがない」「明日から出版社」も同じぐらい良かった。「継続するコツ」と同じぐらい、物事の考え方に影響を受けました。以下、個別の感想です。

1.永井玲衣「水中の哲学者たち」
ずっと言葉が言葉になる以前のものを、じっと待つ。そんなことをしてくれる場所が、人がいるなんて、という安心感が読んでいるあいだじゅうずっとあった。永井さんの文章をもっと読みたくて群像を図書館で取り寄せるようになった2022年でした。先日のEテレの哲学対話もめちゃくちゃ良くてまだずっしりときてます。早く次の単著出てほしい!

2.若松英輔「本を読めなくなった人のための読書論」
読まなければならないものも、語らなければならないことも、私たちにはないということ。窮屈になってしまった考え方を一度ほぐしてくれるような本。『水中の哲学者たち』然り、自分を元いた場所へとかえしてくれるような本に出会えて嬉しかったです。

3.島田潤一郎「古くてあたらしい仕事」
大きな資本が小さなものの息を止める、大衆に寄せるか自分のやりたい方向で行くか。なんて現実はそんなに単純ではない。島田さんというひとりの人の目を通すから見えてくる、二項対立では捉えられない仕事をめぐる物事たち。

読み終えた後、大きな世界の目線で小さい世界を捉えていた自分に気づく。『本屋さんしか行きたいとこがない』でも仰っていた「大きな世界ではやっていけなくても小さな世界ではやっていける、悲観することはない」という言葉に、ああそうだよなあ、もっと早くこの本を読みたかったなあと思う。世の中にはいろんな社会があり、それらはただ社会として存在し機能しているだけで、対立することもあるが支え合うこともある。その中でみんな自分の持ち分をつくり、守りながら、過ごしているのだ。

そのほか「レンブラントの帽子」「美しい街」なども読み。2022年上半期の読書は夏葉社さんとともにあったという感じでした。

4.山本 善行,清水 裕也「漱石全集を買った日」
古本屋店主の山本さんと、古本を買いはじめて数年のお客さん清水さんの対談。清水さんがいかにして古本にはまったかが、実際に買った本とともに紹介されていく。とにかく面白かった。自らを「古本病」と称するお二人の対談を読んで見えてきたのは、たしかに読書の道筋に普遍的な部分はあれども、基本的に自分の中に自分でこしらえていくものなのだということ。こしらえるにはSNSで知る、古本仲間や書店で聞く、という方法はあれども、基本的に「本を読むこと」だということ。読書欲が掻き立てられます。

5.池田彩乃「発光」
この詩集を読んでいるときの、私は語り手と同じものを見たことがある、同じことを感じていたことがあるという実感、ほんのりとした明るさ。この詩集は、私の隣にいる人なのだ。こうして池田さんは知らないところから、知らない誰かに宛てて、大丈夫だよと言い続けているのだと思った。
感情に依りすぎず、観念的にもなりすぎず。そのバランスにほっとする。感情的すぎたり観念的すぎると、私は叱られているような、惨めな気持ちになってしまう。こうならなくては、ああならなくてはと、焦ってしまう。今の私では不十分だと、何にも及んでいないと悲しくなる。けれどもこの詩集はそういうものとは別の世界にある。すべての言葉たちが、この言葉たちを目にしている私のままでいいのだと語っている。

6.年森瑛『N/A』
以前関わっていた人に、人種差別や性的マイノリティに対する差別、女性蔑視などの「社会問題」に対して声を上げる一方で、自らが身近な人へと差し向ける態度に含まれる蔑みにはとんと無頓着な人がいた。そういった仕草はSNSでもよく見かける。マイノリティへの差別に反対するタグをつけツイートする。「声を上げよう」と言う。一方で「◯◯してる人はだいたいこう」などとその「社会問題」に関係ないと「思われ」れば、無邪気に周囲をカテゴライズして蔑み笑う。

「社会問題」として取り上げられるそれらは、身近な個人へのカテゴライズや見下しにもう潜んでいる。なのにどうしてそんなに個人を、目の前にいる人をないがしろにできるんだろう。もちろん同じ問題を抱えた人が連帯し、声を上げて社会を変革することには賛同する。けれどもそれって個人が生きやすくなるためでないのか。社会の方が、属性の方が、大きな問題にコミットすることの方が、そんなに大切なのだろうか。「N/A」はその憤りにも近い疑問に形を与えてくれたと思った。

「女の子なんだから、体冷やしちゃ駄目よ」と祖母はまどかにカイロを渡す。しかしそれはまどかではなく、いずれ子どもを産むだろう「女の子型工場」に宛てた言葉だ。ツイッターの中でまどかはうみちゃん(女性)との交際を見知らぬ人々から応援されていた。しかしそれはまどかのことを応援しているのではなく、「うみちゃんとまどかが虹色の囲いの中にいるから」応援しているのだった。友人の翼沙はまどかがうみちゃんと付き合っていることを知り、傷つけないよう、恐る恐る対LGBT用のしゃべり方をする。

まだ見ぬインターネットの海にいる人も、家族や友達でさえも。まっさらなSNSでも、たしかな現実でも。どこでも誰とでも、まどかは「まどか」でなく「女性」や「性的マイノリティ」といった属性として見られ、その属性に対するマニュアルを順守するかのように接される。だから「やさしく手をつないでくれた人をがっかりさせないように、黙って笑顔で収まってい」なくてはいけない。属性からはみ出ることは許されない。個として関わりあうことが、自分の言葉で伝えるということがいかに難しいか。最初に挙げた人たちだってそうなのだ。そして私も。

ラスト、恋人でなくなった何者でもないうみちゃんが、「恋人でも何者でもない一人」としてまどかに接する。そしてまどかもまた何者でもない一人に戻っていく。そこでまどかの口から出てきたのは「ありがとうございました」という「誰もが認めてくれる、丸っこくてやさしい言葉」だった。その言葉で物語には蓋がされる。それが私には希望に見えた。祖母も、翼沙も、保健室の先生も、用いたのは属性に宛てた定型文だった。けれども、もしかしたら。その水面下にあるのは、たった一人のまどかへ宛てた気持ちだったかもしれない。その「もしかしたら」で、これまでの物語が塗り替えられていく。

互いの関係性で、その場の空気で、同じ言葉でも、意味はまったく違う風に響く。たとえ結果的に定型文だったとしても、私は私の言葉で、何者でもない目の前の一人と対話をしたいと思った。

7.東直子『一緒に生きる』
とても普遍的な育児エッセイだった。知恵袋やハウツーなど目の前のことに対するあれこれでなく、過去の歌人や詩人の一節を引用しながら俯瞰的に育児をみて、深く人生の根本に潜ってゆくような感じ。

育児って大変で、だから大変って言わないといけないと思っていた。そうしないと大変な状況は変わらないから。でも楽しいときだってもちろんあって、それも表に出していいのだと読んでいて思った。それとこれとは矛盾しない。子育てが楽しいと言うことを咎められるならそれはまた別の形の抑圧だろう。大変なら大変で、楽しいなら楽しいで素直な言葉を口にしていい。もちろん声を上げて大変さを改善していくことも必要だと思うけれども、その必要に迫られて楽しいことを楽しいと言えないのはもったいない。

子どもと一緒に夢中になって遊んで、子どもというひとりの人間と真剣に関わりあえば、それはもう文学なのだとこのエッセイを読んで思った。子供と過ごす時間そのものを楽しみたい、楽しんで考えたことを書いて残していきたいと思う。以下は引用されていた詩歌の中で特に印象的だったもの。

子育ては樹陰の匂ひ木の下に子ともういちど生きなほすこと/黒羽泉

東さんは「樹陰」をホームキーピングの暗喩だと捉える。そう言われてみれば確かにそうだ。家事育児は社会的には陰の活動だろう。しかしそこには独特の静けさがあり、子どもがいるだけでまるく柔くなる時間があり、子どもともう一度人生を繰り返すことができるという希望も生まれてくる。家事育児は正式なキャリアとして社会的に認められない、それは理不尽なことで、認められるようになってほしいと文中の東さんとともに願うと同時に、そんな理不尽な場所にだって光はあるとも思う。なんて子育てそのものの歌なのだろう。そしてこの本を表す歌でもあるように思った。
押し付けではない、子育てにはこういう道もあるよと教えてくれる人生の先達のような本だった。

8. なべとびすこ,橋爪志保『府立短歌』
京都府と大阪府出身のお二人。それぞれの出身地にまつわる短歌と写真とが掲載されているZINE。下鴨中通りブックフェアで三十一文庫さんで購入しました。その日は京都に泊まりで、夜にホテルのベッドに寝転がって読みました。都市と短歌って相性がいいなあと白川を眺めながら思ったのでした。思い出込みで良かった本。

9. 関口良雄『昔日の客』
読み終えると同時に胸がいっぱいになる。この静かな喜びをなんと言おう。本を読む楽しみ、喜びそのものみたいな本だった。本は道具ではない、生活だと思わせてくれる、人生がそのままインクの染みになったような、こんな本が私は大好きだ。尾崎一雄、野呂邦暢、三島由紀夫……。「文学」と思って相対したときには姿を見せない彼らの素朴でユーモラスな一面が、このエッセイにはいくつもひそんでいる。

10. 坂口恭平『継続するコツ』
忙しくて小説を書くのをいったんおやすみしようかと考えていたときに出会った一冊。来年は応募する公募も決めず本当に好きなことだけしようと読み終えて思った。

好きなことだけしたらいい、とはいえある程度やることは決めておかないと何も進まないぞ、のあいだで揺れていて、いつもその匙加減に足をとられていた。けれども作中で坂口さんはまったく、100%、好きなことだけしたらいいと語っている。そうやって過ごしたらどうなるんだろうと興味がわいた。

だから来年は好きなことだけして、目標を立てないことを目標にしようと思った。一年後も私は書いているだろうか、それとも書くのもやめて寝てばかりいるだろうか。


今年は下半期本を読めなかったのがかなりフラストレーションでした。それも小説を休むきっかけになったのかもしれない……。けれども3月まで忙しい日々は続くので無理はせず、ただおもむくままの読書をしたいと思っています。「これは嫌いだな苦手だな」を見つけるより「これが好きだな」を追う作業に重きを置く1年にしたいです。引き続き感想(特に良かったもの)は残していこうと思っています。

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