鎌倉殿の13人(最終回)

終わってしまった鎌倉殿。終わって2時間ほど経つけれども、言語化できないししたくないという、本当にすごいものにであったときの幸福な感覚がまだじわじわ続いている。忘れたくないことだけ書き殴っておこうと思う。


小四郎は自らが手を下した者たちの名前を真面目に覚えていた。その真面目さゆえ、生きながらえる薬を政子から与えてもらえないという報いを受ける。それは小四郎に手を下された者たちが政子を通して行った報いでもある(そしてそもそものえの報いでもある)。小四郎はみんなから報いを受ける。その報いは報いであり、もう地獄を背負い込まなくていいという救いでもあった。そして義時の命を奪った真面目さは義時と泰時、父子の「似ている」ところでもあるということ。これまでの積み重ねがこれでもかというぐらい噛み合って「物事の持つ多面性」というフレーズでは言い表せないぐらい物事の持つ多面性が描写されたラストシーンだった。13人は死んでいったもの、鎌倉をつくったもの、義時に殺され、義時を殺したもの。


先週散々「局長が小四郎で、副長が平六だ」と書いたけれども、ラストシーンをみて三谷さんが描く至高のバディの相手は平六でなく、政子だったと気づく。これまで飄々とやってきたように見えていた平六の根本には、幼少時代から抱えていた小四郎に対する優越感とそれゆえの劣等感があった。それをぶちまけた上で忠誠を誓うシーンは希望的で、少しだけ本当かなと思わせる雰囲気もあり、けれどもそれもぜんぶひっくるめて親友なのだという温かな余韻を残した。それは新選組のバディ観からの脱却というか、局長と副長の関係性に笑顔で手を振るように見えた。局長のやり残したことを引継ぎ彼の死後も戦った副長。やり残したことがあるという小四郎に引導を渡した政子。行動だけ見るとまったくもって正反対だけれども、似たような温かさを宿しているとも思う。


希望を託された太郎はもちろん、川辺で八重さんに守られた鶴丸、平六をジジイ呼ばわりする朝時。キャラの劇中の最期をきちんとおさえながら過去を携え時代が進んでいっていることを伝える描写にジンとする。あと政子が薬を捨てた後、倒れた小四郎のなぜという顔が上総の介に見えた。


三谷さんっぽいと思ったのは家康が現れた最初だけだった。前回までのドラマチックな最終話ではなく、静かな最後(頼朝の死の回もそうだった)。ご自身を越えようとされてるのだなと伝わってくる脚本にぐっとくる。展開的にもそうだけど、倫理的にも攻めた内容ではと思う。生きたいと言っている人に薬を渡さないのだから。



大河は「利家とまつ」から観たり観なかったりだけれども、間違いなく今まででいちばん面白かったです。物語的な面白さをバーンとやりつつ大河的な面白さもきっちりおさえていたのが最高でした。また三谷さんに脚本やってほしい。転生した鎌倉殿のみんなに会いたい。

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