本の日

金曜日は22時に、昨日は21時半に寝てすこぶる調子が良かった週末。

昨日は兵庫県古書組合主催の古本屋入門講座へ。講座と題しつつも兵庫の古本屋さんたちの座談会といった雰囲気でとても楽しかった。登壇されている店主さんたち皆、仲良くざっくばらんに話されているのが良かった。

古き良き古本屋さんに憧れているから対面が主で店頭での取引が9割ですという古本屋さんもいれば、ネットでの販売が半分以上を占めていますという古本屋さんもいる。親から古本屋を継いだが、棚は店主そのものだから一から本を揃え直したという古本屋さんもいれば、自分の中身をさらけ出すようで恥ずかしいから自分の蔵書とは切り離して考えているという古本屋さんもいる。そういう形態や心構えの違いがあっても、いやでもそれはね!とかそれは違うんじゃ……と言う人がひとりもいない(大勢の人前というのもあるだろうけど)、いろんな意見の違いをこんなに安心して聞けることがあるのかということにちょっと感動した……。そこかいって感じだけど……。けれども各々自分のお店を主に1人でやりつつ、横のつながりも持ち、というあの感じはすごくいいなあと思った。

そうしたやり方や思想の違いがある店主のみなさんが「出版不況だとずっと言われているけれども、では実際、面白い本は近頃出ているのだろうか」という四ツ目屋さんの発言には一斉に頷いていたのが印象的。四ツ目屋さんは続いて「近代にも面白い本はたくさんあり、その仮名遣いを改めて読みやすくしたりして、いろんな人が手に取れるようにすることも有意義なことでは」とおっしゃっていて、夏葉社や亀鳴屋のことを思い出す。きっとこういう形の出版はこれからも増えていくだろうなと思う。私もそういった本を手に取ってから、古本(というか近代の本)と今こことを地続きで考えられるようになって、それはすごく自分にとって良かったことだという実感があるのでこの流れは嬉しい。

話を聞いて思ったのは、古本屋は自由(自己裁量)ということ。四ツ目屋さんは「(ご自身の本業である)ラジオも本屋も斜陽産業。でもなくなることは絶対にない」とおっしゃっていたのだけど、その、「なくなることはない」範囲の中で、自分の持ち分がどれぐらいほしくて、どういう仕組みを作ればそれを維持できるのかということなのだと思う。駅前に構えてたくさんの人に来てもらって、古本屋一本で食べられて、一生続けるとかになると、それ相応の覚悟と努力が必要になるかもしれないけれど、もちろんそれが古本屋の完成形というわけでない。完成形はそれぞれにあり、加減でどうにでもなる。開業時にはすでに2千冊あった、いやうちは1千冊やっと集めて……とか、店10坪でも倉庫はいるとか、仕入れの大変さetcを聞いて、ああ自分には無理だな、と思いかけていたけれども、自分が何を大切にしたくてどんな形態にしたいのか考えて無理ない形に整えていけば無理な話ではないと思い直した。始めたかったらすぐに始めたらいいと思います、もう無理だなと思ったらやめたらいいんです。という喫茶と古本トキシラズさんの言葉が沁みた……(ちなみにトキシラズさんのお話というか語り口がかなり面白かった。いや話の内容は笑っていいのかわからんかったけど。本にして欲しい……)。

聞きにこられている方も本が好きで、本屋が好きで……という雰囲気が漂っていてそれをみんなが分かっている、ほんのりとした一体感があって良かったです。

終わってからは須磨海浜公園まで足を伸ばして自由港書店さんへ。本とペーパーを預かっていただく。何かを書くことも、本を作ることも続けていくだけと思う。楽しいことをただ続けていくだけ。

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