「今日は思い出す日」あとがき

 書いてどうなるとか、それがなんになるとか。ひとつも考えることなく、ごくごく個人的な出来事と心情を、感傷的に、感情的にインターネットにつづっていたあのころ。それが熱だとも思っていなかったあの熱は、いったいなんだったのだろうなと思いつつ、私は今もインターネットに日記を書いている。
 学校であったこと、友達のこと、好きな人のこと。どこに住んでいる誰かも分からないけれども自分とどこか似た彼女たちの生活を、私もまた文章を綴りながら眺めていたあのときの安心感、心強さ。あのころの個人サイトを誌面に起こせたらと思ったのがこの本の始まりでした。

 この本には二〇二二年四月から二〇二三年三月半ばまでの文章がおさめられています。小説を書きながら、本を読みながら、二才の子どもと過ごしながら書きつけた日々の泡。ただの日常、ただの生活。おそらく子育て日記や読書日記や創作日記と名前をつけた方が多くの人に届くだろうけれど、日記と散文と小説のあわいを漂っていたあのころのようにそのままの文章を置いておきたくて、そのままで大丈夫だと分かりたくて、あなたも大丈夫だと思ってもらえたらいいなと思って、このかたちにしました。

 通しで読むというよりは近くに誰かがいてほしいときに何年か前の今日この人はどう過ごしていたんだろうなとぱっと開くような、そしてそれがあなたの思い出につながっていくような本になっていたらいいなと思います。だからこの本を開いた今日は思い出す日。そして今日もいつか思い出す日。もしこの本を手放すときがきたら、近くにいる元気のなさそうな人に手渡してくださると嬉しいです。

 私は今も、いつでもインターネットにいます。なんでもない日常をつづっています。いつでも遊びに来てください。

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