香川へ旅行にいった話

5月3日から5日まで香川へ、約4年ぶり、子どもが生まれてからははじめての旅行へ行ってきました。やはりすぐには日記を書けず、もうすでに大切だったことも忘れているかもしれない。

ただ瀬戸大橋から望む様々な青と小さな島々、金刀比羅さんの鮮やかな緑や、車窓からみえる黄金の平野とその向こうにぽっかり浮かぶ讃岐富士、歌い踊る私の知らない街の、知らない人々。それらが引き戻してくれた、私は何をしてもいいのだという感覚はまだ手の内にある。それらをおもむくままに書きつけておこうと思います。


一日目はこんぴらさんへ。うどんづくり体験をしたのち、地元の定食屋さんへ。店内には昼間から刺身と生ビールで一杯やってるおばあさんがいて、ああなんか、自分の住んでいない土地へ来たなという感覚になる。


打ったうどんを背負ってこんぴらさんへのぼる。久しぶりに体力的にしんどい思いをした。別に本宮まで登らなくてもいいよねと話していたので、もうやめておこうかと最初のうちは言っていたけれども、よくよく考えれば、時間制限はない。だから急ぐ必要はない。そして休みながら登ればしんどくないし、必ず辿り着く。それからは途中座ったり、神馬を見たり、金平糖を買って食べたりしながら、結局本宮まで登った。あらゆる物事のシンプルな筋を身体で覚えていっているような感覚だった。


その後は電車で丸亀へ。ひかりは初夏の色なのに車窓から見えるのは黄色い絨毯なのが不思議だった。途中、縁側に座って庭の鯉のぼりを眺めている家族がいた。

丸亀につくと何やら大きな音がする。三年ぶりにお城祭りが開催されているそうで、のぞいてみると結構な人出だった。若い人が多くて、ステージはもちろん、道の端でやっている大道芸にもみんな本気で見入って、応援しているのが印象的だった。後ろの方で腕組んだり、粗探ししている人がいない、すれていない、かといって身内だから盛り上げようとしている感じでもない。目の前で起こっていることをただ受け取って、素直にレスポンスしている。とても自然に。

祭りだからか夜にもかかわらず丸亀城が開放されていて、金毘羅さんへ登ってへとへとだったけれども登ってみる。そこにも中高生のグループがたくさんいて、瀬戸大橋が綺麗だったけど、誰も見ていなかった。綺麗だと言っているのは私たちだけ。彼や彼女らにとってはごくごく当たり前の光景なのだろう。城から降りていると、男の子たちがわーっと追い抜かしていってそのうちの一人が「やっぱお城祭りってええなあ」と言っていた。素直。
行き交う人々。無数の私でない人生。それを思い浮かべる希望。


翌朝はうどん屋まごころへ。今回訪れた中でここがいちばん香川のうどん屋さんらしいお店だった。


それからはJRで高松へ。琴電に乗り換え仏生山の車庫へ行った後、栗林公園へ寄り、琴電フェスタへ。

小さい子連れということを差し引いても琴電の皆さんは優しかった。子どもが最後の車両のいちばん後ろに立っていたらドアを開けてくださったり、外から手を振っていたら警笛を鳴らしてくださったり、昔はどこで使われていた車両か教えてくださったり。「この車は加速がいいんですよ」と話してくださるも、「加速がいい」がどういうことなのか分からず「加速がいい…とは…?」みたいな反応になってしまい申し訳ない。けれどもそうして最初から相手を「どうせ知らんだろう」と侮らず話しかけてくださるのがいいなと思った。琴電の広告も、写真もコピーもすごく良かった。後で知ったけど写真のレスリーキーさんは鎌倉殿のビジュアルも担当されていたらしい。

高松はショッピングモールよりも大手筋が栄えていて、地元と同じだなと思う。寺が集まった筋もあり、違う土地でもその時代時代で同じような景観が生まれているのが不思議だ。


この日は高松ミュージックブルーフェスで、街のいたるところで楽器が演奏されていた。子どもはハンドパンの演奏に興味を示して、聴きたいというので最後まで見て帰る。演奏していたのは十人前後、四十代から五十代ぐらいの男女で、それを小さな子ども、若者、おじいちゃんまで、みんなが体を揺らし手を打ち、笑いながら見ている。心揺さぶられる演奏だった。向かいの女性が涙ぐんでいて、「風になりたい」を聴いているあいだ私もずっと涙を堪えていた。

昨日も思っていたことだけれども、ここは私が今住んでいるところよりも、人々が年齢というものをあまり気にかけていないように感じた(それは祝日で、祭りだからかもしれないけど)。そしてそれは自由と安心だった。こんな人たちが親だったら格好いいな、自慢してしまうな、私もああいう風に何歳になっても、これからどれだけ時間が経っても、何をしてもいいのだと思う。ここは天国じゃない、楽園じゃない、私のものでない街。

最終日は屋島へ。山上にあるやしまーるという施設がアートな建築で、カフェもあり、屋島から採れる石や高松城から発掘された器が展示されている博物館的なスペースもあってとても良かった。


下ってからはフェリーで直島へ。乗りついで本州へ。宇野から岡山へ行き、そのまま実家へ帰省する。

同じ日本、同じ海。でも違う。見渡す限りの平野にポッカリ浮かんだ讃岐富士や、三十分間隔の電車や、すぐそこに海、そこかしこに音楽がある。そんな風景の中で暮らすのは、私が育った土地で暮らすのとは違う。同じように生まれても違う人間として育つだろう。似ているようで違う、私ではない人生を知ることで、私は何をしてもいいのだと思える。

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