五島諭『緑の祠』

デニーズでよい小説を読んだあと一人薄暮の橋渡りきる

五島諭さんの歌集『緑の祠』。上述のようなそのままの情景が読まれた歌が多くて、ああいいなあって思う。
よい小説は「よい小説」。書名でないことで歌中の主人公の個性が薄れて、情景そのものが立ち上がってくる。自身の心情に切り込まない。誰かへ宛てた強い思いもない。自分も情景の一部にして、情景を詠む。そして私はよい小説を読んだあとの、しっとりとしたよい時間の、あの感じを思い出す。

ひとりでに世界が進化する夏のスプリンクラーひかりばらまけ

世界はひとりでに動いているものという感覚。それでいて世界を切り離さない、むしろ敬うような、あたたかな視線が向けられているところが魅力的。

灼熱の赤い木の葉を手に持ってあの子にはあの子の遊び方

また歴史の河のなかに自分がいる、この世は目に見えないはたらきで動いている、という感覚がベースにおありなのだろうと感じられる下記の歌が特に印象的だった。

八月のひときわ光多い日に造られる家壊される家
ちりとりが垣根の上に置いてあるだけの些細な些細な遺跡
蟷螂の食べている蛾を蟷螂の視界へと飛び込ませた力

目に映るすべてが遺跡で、遺物。それを知った眼で詠まれる歌だから、こんなにも郷愁を誘うのだろうと思う。

0コメント

  • 1000 / 1000