少女小説とシスターフッドについての覚え書き

『挑発する少女小説』というタイトルの新書が発売されることを知る。アオリは以下の通り。

赤毛のアン、若草物語、小公女、あしながおじさん……大人になって読む翻訳少女小説は、子どもの頃には気づかなかった発見に満ちている。懐かしいあの名作はいま、何を教えてくれるのか?
かつて夢中で読んだ人も、まったく読んだことがない人も、
いまあらためて知る、戦う少女たちの物語。

恐らくシスターフッドの文脈で立ち上げられた企画なのだろうと思うけれども、このタイトルとアオリを読んだ瞬間になんとなくもやもやする。


先に言っておくと、齋藤さんは『文章読本さん江』を読んでとても堅実に国文学・国語教育を研究されている方なのだなと思った記憶があるし、少女小説好きだしタイトルやアオリで判断するのはあれなので手に取ろうと思っている。また少女小説がシスターフッドの文脈で捉えなおされるのは批評において必然だと思うし、こうして新しい面から光があてられることで少女小説が幅広い層に届くこと、女性の地位はまだ低く声をあげていかないといけなくてその一環でこうして少女小説を捉えなおすことが有効であることも分かっているし、それはいいことだとも思っている。

けれどももやもやしたのは確かで、じゃあなんでだろうと思ったところで、それはこの本そのものでなくこうした「シスターフッド」「戦う少女」などのキーワードを取り巻く雰囲気に対するものなのだなあと気づく。


このもやもやは、コロナになりたての頃、ここで政府に声をあげないのは非国民だとばかりに言っている人がいたことに対する気持ちと似ている。

もちろん政府のやってることを自分も良しとはしていない。けれども自分の中に考えや言葉をためたその結果の言動が人それぞれなのは当たり前じゃないのかな、どうして「声を上げていない」といううわべだけを見て個々人のした選択が否定されるのだろうと、一様に同じ方向を向けと言われているような息苦しさを感じた。連帯することで得られる力の強さが分かるからこそ、個人の事情を無視するそこに私は連帯したくなかったのだ。


要するに「少女小説はシスターフッド的な側面があるよ」が「少女小説はシスターフッド小説だよ」になるのが嫌なんだろうなあ。もちろん誰かがそんなことを言っていたわけでないけれど、これだけシスターフッドの視点でいろんなことが切り取られ、こんな企画が世に出るほど市場が拡大してると思うと(今や秋元康氏もテーマにするシスターフッド……)そういう風に錯覚しそうになるのだよ。


「戦う少女」にしたって少女小説で女の子たちは戦ってるけれど、戦ってるばかりではないじゃん……。登場人物個々人がその環境でできることをやっており、それが結果的に戦いに見えてるだけというのもあるし、戦ってないものもあるし、ちゃんと戦っているものもある。そしてそこに優劣はない。なのに「戦っていることこそが魅力」みたいな感じになるのはなんかちょっと悲しい。

もっと正確にいえば「戦ってないと(シスターフッドじゃないと)少女小説じゃない」みたいになるのが嫌なのかも。


あとシスターフッドってある事柄に対してある目的を達成するために連帯することで、女の子同士が持続的に友情を育むこととはまた別なのに(重なる部分はあるにしても)そこが混同されがちなのもうーんって思う(間違ってたらごめんなさい)。

現代日本のシスターフッドにおける「ある目的」って「女性が自分の意思で様々なことを自由に選択でき、それが誰にも否定されないようになること」だと認識していて、それが「(小さな世界であるにせよ)自分で考え自分で動く少女の姿が描かれていること」が魅力の一つである少女小説と親和性が高いのかなあと思っている。

だからシスターフッドというキーワードをあてはめることでそれ以外の何かをとりこぼしたり否定したりすることは、その精神に反しないか?とも思っていて、そういう方向に傾いていかないでほしいなと遠巻きに見ている。


まあ結局、シスターフッド、シスターフッドな時流で「連帯しなけりゃ女じゃない」「戦わなければ女じゃない」みたいに感じられるのが、自由を奪われている気がして嫌なのかもしれない。


とここまで書いて、自分が「シスターフッド」に対して感じていることは「フェミニズム」に対して感じていることと似ているということに気づく。「フェミニズム」に関する覚え書きは以下。

自分の考えはフェミニズム的であり、シスターフッド的なものも好んで読んでいるうちに入っているとは思うけれど、そうしたキーワードありきで発言/行動や創作をしているわけではないし今のところする気もないかなあと思う。もちろんそういうメッセージ性の強い言動や創作を否定しているわけではない(そういうものを読んだ結果が個人の考えに反映されているわけだし)。自分がこの社会で他者から受け取って考えたものをあくまで個人的に発していきたいなあと思っている。そしてそこに「フェミニズム」「シスターフッド」というキーワードが添えられてもいいし、添えられなくてもいいと思っている。それが自分の走りやすい姿勢だと今は思っている。以上覚え書き。



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