京都千年蔵

実家へ帰る。子どもは日ごとに人見知り度が増している。母に会って泣いたときはどうしようかと思ったが、昼すぎには楽しく遊んでいてよかった。春のシャツにダウンを羽織り、夏のサンダルで犬の散歩へ出かけた。ちぐはぐな気候にマッチしているようで全然していなくて笑う。

夜、京都千年蔵を観る。 山本読書室という、幕末にオープンデータを作ろうとした機関の話。出演者が豪華でさすがNHKと思う。
ナビゲーターは主に磯田先生で、高橋源一郎氏、ヤマザキマリさんとお三方で所蔵品をみながらお話しされるシーンがあったのだけれど「知性にはユーモアがある。余裕がないといいものは生まれない。いっぱいいっぱいの末出来上がったものは破綻しているし怖い」「みんな一つの価値観を持っていると考えることは怖い」という話が印象に残る。これは物事において知を重視している人の考え方と思うが、私にはその考え方が心地よく感じられるし安心するし、わくわくもする。

私は大河を観ているときなどに発生する「史実ではこう言われてますけど」というちゃちゃが苦手なのだけれども、それは「何をそんな細かいことを……」と思うからというより、「史実=たった一つの揺るぎない事実」と考えることに危うさを覚えるからだ。それは史学分野だけでなくなんでもそうで、仔細なことを取り上げそれを「正していく」と称することは、物事を一つの考え方に収斂させる。そんな余裕のない考え方は、知性とは真逆の方向にある。

それにしても国の貧しさ(余裕のなさ)が、自らの興味関心事に没頭する復一はじめ山本読書室の面々を苦しめるという展開が今の世と重なってなんとも言えなかった。一方、出演されていた研究者の方々がみんないい顔してらっしゃった。語り口も、研究対象を愛しているのが十二分に伝わってきた。何の役に立たなくても何かを知りたい、そういうマインドは今も続いているという締めが希望的だった。

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